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仙台地方裁判所古川支部 昭和43年(ワ)38号 判決 1969年11月13日

原告

佐藤力雄

被告

有限会社丸一運送

ほか二名

主文

被告有限会社丸一運送、同田中一寿は原告に対し各自金七〇万四、六三七円およびこれに対する昭和四三年三月二八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告有限会社丸一運送、同田中一寿に対するその余の請求および被告田中憲治に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告と被告有限会社丸一運送、同田中一寿との間に生じたものはこれを八分し、その一を原告の負担とし、その余を被告有限会社丸一運送、同田中一寿の連帯負担とし、原告と被告田中憲治との間に生じたものは原告の負担とする。

この判決は、原告において、被告有限会社丸一運送、同田中一寿に対し各金一〇万円の担保を供するときは、一項に限りそれぞれその被告に対し、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、第一次請求として、「被告らは原告に対し、各自八二万四、六三七円およびこれに対する昭和四三年三月二八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を、予備的請求として、「被告有限会社丸一運送は原告に対し九万円およびこれに対する昭和四三年三月二八日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は右被告会社の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

第一次請求原因として、

一、原告は、昭和四一年一月八日午前九時四五分ころ、古川市字古川小姓堂東三番地先道路北側において、リヤカーに積んであつたコンクリートパネルを荷降中、後方(道路東側)から進行してきた訴外佐藤三男運転の大型貨物自動車(宮一く二三七四号、以下本件自動車という)が、その左前方(道路南側)に駐車中の自動車を避けるため、道路中央部から右寄りに進行したため、右前方(道路北側)にとめてあつた右リヤカーに本件自動車前部を接触させ、その衝撃で、同リヤカーに積んであつたコンクリートパネル一枚が前記荷降中の原告の右膝上部に飛んできてぶつかり、右膝上大腿骨骨折の傷害を受けた。

二、右事故は、訴外佐藤が左前方に駐車中の自動車に気をとられ、右前方の原告およびリヤカーに対し、接触等を未然に防止すべき安全確認等の義務を怠り、漫然進行した過失によるものである。

三、訴外佐藤は被告有限会社丸一運送(以下被告会社という)の従業員として、その業務のために、本件自動車を運行中に前記事故を起こしたものであり、被告憲治は被告会社の取締役の地位にあり、本件自動車の保有者として自動車損害賠償保障法による保険契約者であり、被告一寿は被告会社の代表取締役の地位にあり、訴外佐藤を監督していた者であるから、被告会社および被告憲治はいずれも運行供用者として自動車損害賠償保障法三条により、被告一寿は代理監督者として民法七一五条二項により、各自損害賠償の責任がある。

四、本件事故のため、原告は遊佐医院に昭和四一年一月八日から同年八月一三日まで入院、翌八月一四日から同年九月一三日まで通院し加療を受けたが、治癒しないため、鴇田整形外科に同月一四日から昭和四二年三月三〇日まで入院、同年四月一日から同年一〇月末日まで通院し加療を続けたが、右膝不全強直のため、膝関節の屈曲は九〇度まで可能であるが、坐位はできない状態となつた。

五、本件事故により、原告の受けた損害は次のとおりである。

(一)  原告は、本件事故当時、武田工務店において日給一、〇〇〇円で稼働していたが、前記受傷のため、事故の翌日の昭和四一年一月九日から少なくとも前記通院していた昭和四二年一〇月末日までの六六一日間は稼働できなかつたから、六六万一、〇〇〇円の得べかりし利益を失つた。

ところで、原告は、本件事故により、被告会社から三万円を受領し、また、労働者災害補償保険法に基づく休業補償費および障害補償一時金として三六万四、八六三円の支給を受けたので、右計三九万四、八六三円を右損害額から差し引くと二六万六、一三七円となる。

(二)  原告は訴外後藤しげ子に看護料として五万九、五〇〇円を支払つた。

(三)  原告は、本件事故のため、前記のとおり長期の入院および通院生活を送つたうえ、膝不全強直の後遺症を残すに至つたもので、この精神的苦痛を慰藉するには五〇万円が相当である。

六、よつて、原告は被告らに対し各自右五の(一)のうちの二六万五、一三七円、(二)の五万九、五〇〇円、(三)の五〇万円計八二万四、六三七円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四三年三月二八日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

と述べ、

被告ら抗弁の示談契約の成立を認め、

再抗弁として、

しかし、右示談契約は、原告の代理人訴外佐々木幸良および被告会社代表者田中一寿が、原告の傷害は約三か月で治癒するものと誤信し、締結したものであるところ、事実治癒したのは前記請求原因四記載のように、事故後一年一〇か月後であり、しかも後遺症をも残し、その損害も大きく、このことは示談当時予想もできなかつたものであつて、その意思表示には、重要な部分につき錯誤があつたものというべく、従つて、右示談契約は要素の錯誤により無効である。

と述べ、

被告ら抗争の要素の錯誤に関する重大な過失の点を争い、

予備的請求原因として、

一、原告と被告会社との間で、昭和四一年三月一〇日に、原告が本件事故により傷害を受けたことにつき、被告会社は原告に一二万円を支払うべき旨の示談契約が成立したが、そのうち三万円を支払つたのみで、残金九万円を支払わない。

二、よつて、原告は被告会社に対し、右九万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四三年三月二八日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

と述べた。〔証拠関係略〕

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、

第一次請求原因に対する答弁として、

被告会社は、

一、請求原因一の事実中、訴外佐藤が原告主張の日時頃にその主張の自動車を運転していたことは認めるが、その余の点は否認する。

二、その二の事実は否認する。

三、その三の事実中、訴外佐藤が被告会社の従業員であること、被告一寿および被告憲治が被告会社の取締役であることは認める。本件自動車の保有者または運行供用者であるとの点は否認する。その余の点は争う。

四、その四の事実は知らない。

五、その五の事実中、原告が受領した金額については認めるが、その余の点はいずれも争う。

と述べ、

被告一寿、同憲治の答弁として、

一、請求原因一の事実は知らない。

二、その二の点も知らない。

三、その三の事実中、訴外佐藤が被告会社の従業員であること、被告一寿および被告憲治が被告会社の取締役であることは認めるが、その余の点は否認する。

四、その四の事実は知らない。

五、その五の事実中、原告が受領した金額については認めるが、その余の点はいずれも争う。

と述べ、

被告らは抗弁として、仮に本件事故が訴外佐藤の過失により発生したとしても、

一、原告は、訴外佐々木幸良を代理人として被告会社代表者田中一寿との間に、昭和四一年三月一〇日に、左のとおりの示談契約を締結した。

(一)  原告は約九〇日の安静加療を要し、現在入院中であるが、補償については労災保険を適用した。

(二)  原告は被告会社より慰藉料の形で一二万円の補償を受ける。

(三)  今後いかなる問題が発生しても、裁判その他にかかわらず、異議の申立を行わない。

二、従つて、原告は右約定により、本件事故についての損害賠償請求権を放棄したものである。

と述べ、

原告の要素の錯誤の抗弁に対し、その主張事実を争い、さらに、原告は、右示談契約当時、その主張の傷害の程度および治療等について十分知つており、または予期し得たのに、その見込み違いのために、右示談契約を締結したことについては、原告の代理人佐々木において重大な過失があるものというべく、従つて、原告は自ら錯誤による無効の主張はできない。

と抗争し、

予備的請求原因に対する答弁として、被告会社は、原告主張の請求原因事実は全部認める。

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一、原告の第一次請求について

(一)  事故の発生と原告の受傷

訴外佐藤三男が昭和四一年一月八日午前九時四五分ころ本件自動車を運転していたことは被告会社の認めるところであり、〔証拠略〕を総合すると、訴外佐藤三男は、昭和四一年一月八日午前九時四五分ころ、本件自動車を運転し(このことは被告会社の争わないところである)、古川市字古川小姓堂東三番地先道路上(道幅約六メートル)を東方から西方に向かつて進行中、その左前方(道路南側)に普通貨物自動車が駐車しており、さらにその若干右前方(道路北側)にリヤカーがとめてあり、そのリヤカーから積荷のコンクリートパネルを降ろしていた原告を認めたのであるが、このように両側の車により狭くなつた場所を通過する際は、警音器を鳴らして警戒させ、右リヤカーとの間隔につき十分注意を払う等安全を確認しながら進行し、接触等による事故を未然に防止すべきであるのに、これを怠り、右自動車を避けるため道路中央部から右寄りに漫然と進行したため、本件自動車の右横前部辺を荷降中のコンクリートパネルに接触せしめ、その反動で右パネルが原告の右膝や右腿付近を強打して、原告はその場に倒れ、その結果、原告は右大腿骨亀裂骨折、右膝外傷性関節症の傷害を受け、原告主張のとおり、治療のため昭和四一年一月八日から昭和四二年一〇月末日まで入院および通院をなしたが、右膝不全強直のため、現在においても膝関節は自由に曲げられず、正坐もできない状態であることが認められ、右認定に反する証人佐藤三男、同三塚民男の各証言はいずれも採用し難く、その他これを左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告会社の責任

訴外佐藤が被告会社の従業員であることは被告会社の認めるところであり、原告の受傷が、同訴外人の本件自動車の運行によつて生じたことは前記認定のとおりである。

〔証拠略〕によると、被告会社は運送を業とするもので、本件自動車を訴外宮城いすゞ自動車株式会社から昭和四〇年二月一三日に月賦で購入し、同年八月にはその代金を完済し、常時本件自動車を自己の業務に使用していたものであり、訴外佐藤は被告会社の自動車運転者として昭和三九年三月ころから勤務していたものであるところ、同訴外人は被告会社の運送業務のため本件自動車を運転し、前記事故を起こしたことが認められ、これをくつがえすに足りる証拠はない。従つて、被告会社は運行供用者として自動車損害賠償保障法三条により、本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。

(三)  被告一寿の責任

被告一寿が被告会社の取締役であることは同被告において認め、被告会社の従業員である訴外佐藤が被告会社の業務執行中に本件事故を起こしたことは前記(一)、(二)に認定のとおりであり、〔証拠略〕によれば、被告一寿は本件事故当時においても、被告会社の代表取締役として訴外佐藤ら自動車運転者に対し現実に指揮監督していたことが認められ、これを動かすに足りる証拠はない。従つて、被告一寿は代理監督者として民法七一五条二項により本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。

(四)  被告憲治の責任

被告憲治が被告会社の取締役の地位にあることは同被告の認めるところであり、〔証拠略〕によれば、被告憲治名義をもつて、本件事故当時、本件自動車につき自動車損害賠償保障法による保険契約が締結されていたことが認められるのであるが、しかし、〔証拠略〕によれば、被告憲治は被告一寿の弟で、被告会社の取締役にはなつてはいるものの、単に名目的のもので、役員の報酬も貰わず、自動車運転者として勤務しているにすぎず、本件自動車につき所有権等その他の権利も有しないし、前記被告憲治名義の保険契約も、被告会社代表者一寿において、被告憲治の了解を得ることなく事務の都合上なしたもので、被告憲治は本件事故後はじめてこれを知つたものであることが認められ、これを左右し得る証拠はない。従つて、被告憲治は本件自動車の運行供用者とは到底いえなく、自動車損害賠償保障法三条による損害賠償義務はないものというべく、原告の被告憲治に対する請求は、既にこの点において理由がない。

(五)  示談契約の無効

被告ら主張の示談契約が締結されたことは当事者間に争いのないところ、原告は右契約は要素の錯誤により無効であると主張するので検討する。前記(一)の認定事実、〔証拠略〕を総合すれば、右示談契約を締結した原告の代理人佐々木幸良および被告会社代表者田中一寿は、医師の意見および診断書を参照し、原告の傷害は示談契約をした昭和四一年三月一〇日から約三か月の加療により治癒することを前提とし、この点について争いもなく、もとより後遺症の起こることなど予測しないで、従つて示談金額も一二万円という低額でまとまつたものであること、ところが、原告の症状は、予期に反し一向に好転するどころか悪化するに至り、遂に前記のとおり、右示談契約をした後も一年七か月有余の昭和四二年一〇月末日まで入院および通院のうえ加療を重ねたのであるが、後遺症として右膝不全強直の状態となつてしまつたもので、現在においても右膝関節は自由に曲げられず、歩行も不自由で正坐もできなく、冷えると患部が痛むこと、原告は本件事故当時、武田工務店において稼働していたのであるが、事故後の右加療期間は勿論その後も身体が十分に動けないため、右工務店において働くことができず、その物心両面の損害も大きいことが認められ、以上認定をくつがえすに足りる証拠はない。そうすると、原告の代理人佐々木の右示談契約の意思表示には、その重要な部分に錯誤があつたものであるから、右示談契約は原告主張のとおり要素に錯誤があるものとして無効であり、原告は右示談契約により本件事故についての損害賠償請求権を放棄したものということはできない。

ところで、被告らは、重大な過失がある旨抗争するのであるが、しかし右認定のように、原告代理人の訴外佐々木が診断書を参照し、医師の意見に従い、加療期間が約三か月くらいと考え、示談契約をしたのは通常人として免れないところであり、これを目して重大な過失とはいえないから、右主張は採用できない。

(六)  本件事故により原告の受けた損害額

(1)  得べかりし利益の喪失による損害額

〔証拠略〕を総合すれば、原告は昭和四〇年一一月一日から、土木建築請負業を営む武田工務店こと訴外武田常之助に人夫として日給一、〇〇〇円で雇傭され、日曜、祭日その他特別の事故のある場合を除き毎日稼働していたもので、特段の事情のない限り、将来とも引続き働くことができ得たところ、本件事故のため、原告主張の昭和四一年一月九日から昭和四二年一〇月末日までの六六一日間よりその間の日曜、祭日その他特別の事故の場合の日数を差し引いた五四〇日間は少なくとも稼働し得ず、計五四万円の得べかりし収入を喪失したことが認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

ところで、原告が受領したことを自認する前記計三九万四、八六三円を右損害より控除すれば、その残額は一四万五、一三七円となる。

(2)  看護料

〔証拠略〕によれば、原告は前記(一)認定の入院中、医師の指示により訴外後藤しげ子に看護を依頼し、看護料として、昭和四一年一月九日から同年二月二〇日まで分として二万九、四〇〇円、同年九月一五日から同年一〇月一八日まで分として三万〇、一〇〇円、計五万九、五〇〇円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はない。

(3)  慰藉料

〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時満五一歳(大正三年四月三日生)の健康な男子であつて、妻とともに平和に暮してきたところ、本件事故のため前記認定のように一年一〇か月近くの長期の療養生活(そのうち入院期間は一年一か月有余)を余儀無くされたうえに後遺症を残し、不自由な日常生活を送り、社会的活動も制約されるに至つたもので、原告の精神的苦痛は大きく、これに諸般の事情を考慮すれば、原告に対する慰謝料は五〇万円をもつて相当とする。

二、以上説示のとおりで、原告の右請求は、被告会社および被告一寿に対し、各自、右一の(六)の(1)記載の一四万五、一三七円、同(2)記載の五万九、五〇〇円、同(3)記載の五〇万円の計七〇万四、六三七円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四三年三月二八日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべきも、これを超える部分ならびに被告憲治に対する請求はいずれも失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大沢博)

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